Everyday is Wednesday

愉快な仲間はいないし、おもしろおかしくもない。

典道の勇気、なずなの我儘、父の愛【打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?感想】

8/20: タイトルをちょこちょこ変えてます。

8/21:強い電波を受信したので修正した。

 

これは反省文だ。

本文を要約すると、以下の通りです。

・金曜日に「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」を観た。

・駄作だと思った。オタクから金を取るばかりか、一般人からも搾取するやり口もムカつく。

・しかし土曜日、ひょんなことから2回目を観ることになった。

・そこでやっと作品のスケールのでかさ、面白さに(たぶん)気づいた。

 ・ごめんね

 

以下、だらだらと書き連ねた文章は、1回目で「まじくそつまんねーなこれ」と思ってしまった反省文になります。

 

【ネタバレを含みます】

 

 

川村元気」への期待。

金曜日に上映開始になった「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」だが、観る前から「これは絶対に面白い!」と思っていた。

それは、プロデューサーが川村元気だったから。

君の名は。」で、日本を代表するアニメ監督と呼ばれるようになった新海誠。あの作品が素晴らしいのは、間違いなく新海監督の手腕によるものだと思うが、僕は、川村元気の「作品と世間の空気とのチューニング力」も、大きく貢献していると感じる。

例えは悪いが、新海誠川村元気の関係は、競走馬と騎手のように思えた。騎手が馬の適性や能力を見定め、最大限のパフォーマンスを引き出すように、彼は、一見オタク向けのように思えるクセの強い作品を、世間一般へ受け入れられるよう翻訳し世に送り出してきた。「君の名は。」は、その最たる例に思う。

 

だから、その川村元気を信用して観ようと決めた。

 

不安要素は多かった。

僕はここまで、知ったように書いているものの、岩井俊二の作品は見聞きはしていたが、読んだことはなかった。

道満晴明のファンなので、氏によるマンガバージョンの「花とアリス殺人事件」を読んだ程度)

 

だけど、川村元気を信用した。

 

不安要素はまだある。

やたらCMをうつ映画は、映画の製作陣に自信がないから。

やたら予告が面白い映画は、そうでもしないと客が来ないと広報が思っているから。

 

だけど、信じた。

 

不安要素はまだある。

製作会社がシャフトなのは、オタクを釣りたいから。

声優がやたら豪華なのも、オタクを釣りたいから。

 

だけど、信じた。

 

不安要素はまだまだまだある。

売れ線の俳優や女優を声優に起用するのは、作品のクオリティは二の次で、一般人を劇場に呼んで売り抜けようとしているから。

 

だけど、信じた。

川村元気なら、なんとかしてくれるんじゃないか、と。

僕は無邪気な気持ちで、映画館へ向かった。

すぐに、打ちひしがれることになるとは知らずに。

 

オタクビジネス+有名人パワー

はっきりいうと、支離滅裂。

ストーリーがではない、作品のエネルギーが。

原作が古いものだから、微妙に空気感がおかしいのは仕方ない。

にしても、これは、ちょっと。

 

やたら寒いギャグ、痛いセリフが鼻につく。

 

萌え、ともすればエロティック・強いフェチといったオタク感丸出しの描写に、相変わらずだなと思う。

 

菅田くんの拙い演技が気になる。

 

これらは、意図したものであるかもしれない。

寒い会話が持ち味の作者はたくさんいる。宮﨑駿の戦闘機の描写が異常なのも何かのフェチだと素人なりに思う。風立ちぬの主人公の声優を務めた庵野の上手すぎない演技も印象的だった。

 

だけど、もしかして、作品のクオリティ云々よりも、商業として戦略的に攻めた結果がこれなのでは? とも思う。

 

君の名は。」ブームで芽が出た『わたしアニメにも理解あるよ』みたいな一般人を刈り取ろうと、知名度の高い菅田くんとすずちゃんを呼んだのでは?

オタクを引きつけるために、新房監督や豪華声優らを起用したのでは?

 

ようするに「君の名は。」のように、二兎を得ようとしたのではないかと。

 

まずアニメに敏感なオタクを釣って、絶賛ツイートをさせてSNSでバズり、一般客を呼ぶ流れを作りたかった?

「そのために、有名声優と有名プロダクションを使ってオタクを呼ぼう。菅田くん・すずちゃん使えば、いずれパンピーも来るよ」

単に、そんなマーケティング戦術ありきの作品では…と勘繰った。凡人の発想だけど。

 

作品を蔑ろにするかもしれないけど、プロデューサーとしては成功。

君の名は。」ブームにあやかってるとはいえ、そのブームをつくった張本人だし。

 

とはいえ「君の名は。」のような感動作を期待したらしいリア充カップルが、怪訝そうな顔で劇場を後にするのを観た。

 

まさかの2回目。

仲の良い友人が「打ち上げ花火〜」を観たいといいだした。彼らは初見。

ぼくは、昨日観たからと断ったが、結局悪ノリでついていった。

たしかにお金は勿体無い。だけど、駄作は駄作で、友人たちと酷評し合う楽しみ方がある。

「ま、そういうのもいいか」と自分に言い聞かせて劇場へ向かった。

映画が始まる前の広告は昨日と同じだった。

本編が始まる。

当たり前だけど、オープニングも同じ。

 

だけど、感じ方は昨日とは違った。

ここで、自分が作品のスケールについて大きな誤解をしていたことに気がついた。

 

白いキャミソールを着たなずなが言う。

「典道くん、一緒に泳ごう?」(うろ覚え)

 

昨日観たからわかる。この服、ラストシーンのやつじゃん。

 

この話は、誰の世界か?

金曜日に観たとき「なんか不思議な玉を使って世界を改変する少年の武勇伝」だと思っていた。

童話じゃあるまいし、ストーリーが薄すぎない?と思っていた。

だけど2回目、オープニングの演出を観て、ある解釈を思いつく。

この話は「典道が玉を使って、なずなを救う話」ではなく「なずなが玉を使って典道に自分を救わせる、一癖あるラブストーリー」ではないか?

 玉が「もしも」の世界に連れていくトリガーは、おそらく願いを込めて玉を手放したとき。

なずなが玉を拾った日、つまり転校を余儀なくされているときの日、彼女は何を思っていたのか。

「引越ししたくない」「この街を出たくない」おそらくそんな風に思っていたのではないか。

彼女が持っている以上、トリガーはいつ発動してもおかしくない。

「発動させたかもな」と思ったシーンは、なずなが部室でネームシールを剥がしたところ。

なずなが典道と会えるプールにいたのは、そしてその理由を典道に説明できなかったのは、すでに世界を改変していたからではないだろうか。

(「部活か?」「ううん」「泳ぐのか?」「泳がない」「じゃあなんで」「なんででしょう」のくだりから)

ではなぜ、典道ではなく祐介がレースに勝ったのか?

僕の勝手な妄想だけど、ゴール(なずなと典道が二人きりで一夜を過ごす)から逆算したとき、典道にも「玉を使った世界の改変に参加してもらう必要があったから」だと思う。

典道となずなは水面下では両想いだったが、思春期特有のアレで、典道側がもやもやしている。

世界の改変、つまりなずなの親からなずなを取り戻す冒険を経ることで、なずなへの気持ちが固まり、なずなの『一日だけでもいいから、典道と二人で過ごしたい』という願いが叶うのではないだろうか。

 

なずなの望む世界を、典道がつくる。

祐介との勝負に負けた典道。

なずなはY字路で、典道にどうして負けたか問い詰めた。

言い訳する典道に対して不自然に激昂するなずな。

「私のせいなの?」

もしかすると、何度も世界を改変しているにも関わらず、典道が助けてくれる世界を作れないことに対しての怒りだったのかもしれない。

「典道くんが勝つと思ってた」

なぜなら、玉にそう願ったから。

だが、典道にそう思った理由を聞かれても、説明は難しい。

世界改変の説明は難しい上に、告白してるようなものだから。

 

母に無理やり連れていかれるシーン。

なずなは典道に「助けて!」と懇願する。

記憶では、そのとき、なずなの持っていたカバンから、あの玉が落ちる。

(ここでもトリガーが発動したのかもしれないが、わからない

典道はその後、玉を投げる。もちろんトリガーのことは知らずに。

ふつう、硬くて当たったらヤバそうな玉なんて投げるだろうか。しかも、なずなが大切にしていた玉。よっぽどのバカなら投げるかもしれないけど、僕なら投げない。

1回目はご都合主義かよと辟易したシーンだが、なずなが「この玉を使って私を助けて」と願っていたなら、投げるかもしれない。

ここで「なずなちゃん、めっちゃ典道のこと好きやん…」と感じた。典道に自分の未来を託したのだ。

その後、典道は、なずなの願い通りに、あの手この手で、親からなずなを奪い返そうとする。駅のホームで父の鉄拳(よその子をいきなり殴るあたり、なずなの母は、またダメ男に引っかかっていると思う)を食らったり、思いがけず親友を裏切ったりしながら、なずなの願いを叶えていく。

典道の行動の全てが、なずなの願いによるもの。

なずなは、いかにして自分を助けてくれるのか楽しくて仕方がなかったはずだ。

 

恋をする女の子の話。なるほど、そう思うとストーリーに深みがある。

 

2回目の映画を観た直後は、そう思った。

 

なずなの父の世界は。

2回目を観終わり、話のスケールに気づいたつもりになって、感想を書き出した。

記憶を頼りに「これは典道の武勇伝ではなく、なずなの恋物語だ」と。

しかし、未解消のシーンに気づく

電車でなずなが打ち明けた、父の話だ。

なずなは、実の父は蒸発したと説明した。

その後に再婚した父も、現在の父(cv.三木眞一郎)の存在から見るに消えてしまっている。

この辺が、よくわからなかった。

子どもをおぶって心中を試みた男は誰か?

その子どもは誰か?

そして、その男が海に玉を手放した描写の意味は?

 

やはり妄想だが、なずなの父が、なずなの幸福を願い、玉を手放したのではないか。なずなが玉を拾い、世界を変えるように、父が願ったからではないか?

 

もしそうなら、スケールの大きさのデカさがすごい。

典道の冒険を誘発した、なずなのわがまま。

そんな娘の幸せを願った父の親心。

 

すべては父が望んだ『もしも』の世界だった。多分。

 

典道は妄想に取り憑かれて死んだ説?

本編で最も印象的な、下から花火を見るシーン。

もしもの世界へ連れていくあの玉が、花火になって打ち上がる。

「もしも」が砕け散り、自分の望む未来を映す。

祐介は、なずなと夏祭りデートをする世界を見た。

なずなと典道は、東京でデートをする世界を見た。

 

引っかかったのは、海の中での会話。

「次はいつ会えるかな」

このセリフ、1回目は「なんとなくいい感じのセリフを言わせてんじゃねえよ」と思ったけれど、次の台詞でハッとする。

「次はどんな世界かな」

世界を改変していることに自覚的な発言ととれる。

 

そして最後の教室のシーン。

担任が出席を取るも、典道がいない。

意味深な感じで終わる。

1回目は「なんか意味深にしとけばええと思ってんねんやろ」とマジでキレてたが、話の筋を理解しつつあった今、ロマンチックな解釈を思いついた。

 

一部では、なずなを取り戻そうとして何かに取り憑かれた典道が死んだ説もあるようだけど、僕はそれを信じたくない。

 

ラストシーンは、典道が出校日をサボり、朝からなずなと東京に行ったことを示唆するものだと思う。

 

理由は、なずなが、砕け散った「もしも」で見た東京デートの服装が、その日のそれだから。典道が幾多の世界の改変を経て、なずなのことが好きだと自覚したから。そして、東京に行く「もしも」が見えたから。

 

次はいつ会えるか、次はどんな世界か。

言いかえれば、典道が次はどんな手段で、私を助けてくれるのか。

その結果が、『駆け落ち』だったのではないか。

 

そんな風に思う。

 

誤解してました

関係者各位、ごめんね。

 

ドヤ顔で解説したけど…

誰でもわかることだったのかもしれない。

1回目でわからなかったけど、2回観てわかった感動のせいで、なんかすごい興奮してここまで勢いで書いたけど「えっ、いや、最初からそういう話でしょ」とか、言わないで…。

 

最後に、菅田くんの演技は拙いけど、先述の「『風立ちぬ』における庵野理論」としてセーフ。寒いセリフは原作だと典道たちは小学生らしいので許した。あとシャフトのフェチっぽい描写は大好きです。好きなシーンは、なずながプールで寝っ転がってて、玉にフォーカスするシーンで左上にスク水なずなが見切れてるところと、「か・け・お・ち」の顔です。

 

だらだらと書き連ねたけれど、結局言いたかったのは「酷評されてるけど、そんなに悪くないと思うよ」ということです!おわり!

 

(なんかあったらまた書きます)

スマホで書いてるからか親指の関節が痛くなった)

(あと『君と彼女と彼女の恋』というゲームを思い出した)