Everyday is Wednesday

愉快な仲間はいないし、おもしろおかしくもない。

頭の悪い人間は、暇になると、頭の悪いことをしだす(例えばクソブログを書くとか)

人工知能が発達して、人間は労働から解放されるときが来るらしいです。
希望が多分に入ってますが、噂によればそうらしいです。
楽しいことだけやっていればいい時代が来たら、人間は何をするんでしょうね。
僕だったらゲームだと思うんですけど、楽しいことだけやっていればいい時代に創られるゲームってどんな感じなんでしょうか。
作り手は、自分の作りたいようにしか作らないはずです。やりたくないことをやる理由はない。
でもやっぱり、作り手どうしで「誰が一番面白いゲームを作れるか」みたいなことやりだすんでしょうか。
「趣味として、他人の評価は気にせず自分の好きなものだけ作る」人間と「他人と勝負して勝ちたい」人間ができる。
あれ、そもそもそんな時代に、他人の評価ってするのかな。
面白いか面白くないかわからないゲームなんかやらないかも。
そこをあえてやります!みたいな人間がいるのか。
人工知能が作ったゲームより面白いぞ!」みたいな。
じゃあやってみて、面白くて、作者に「いいね」つって。
では、言われなかった作者はどうするんだろか。
言われるまで頑張るのか、頑張らないのか。

 

マズローの欲求段階で言えば、人工知能が発達した時代、安全の欲求は果たせるので、みんながみんな「誰かに認められたいよ〜」となる?
誰かに認められるように、何をすればいい?
社会集団の中で、価値ある存在になるために何をする?
発達した人工知能がある以上、彼らにできないことをする必要がある。
人工知能でいいじゃん」となれば、人間の私は、社会から承認されない。

 

だからみんな、自分にしかできないことをやろうとする。
自分にしかできないことを持っていることは、超強烈な価値になる。カリスマ的な。
その一方で、人工知能より劣る人間はわんさかいる。
その人たちはきっとカリスマを崇めることに価値を見出す。信者的な。
カリスマ側も人工知能に崇められても仕方ないので、人間の信者を大切にすると思う。
信者は、信者であることが自身の価値なので、
自分が一番の信者であることを証明しようと争い出す。
カリスマは自分の承認者が減ると困るので、信者を諌める。

 

まとめると、
生活の雑多なことは人工知能がやってくれる時代が来たら、
数人のカリスマが神になり、その他は全員信者になる。
彼らはクニを作って〜

 

 

ああもう、やだやだ。

 

頭の悪い人間は、暇になると、頭の悪いことをしだす(例えばクソブログを書くとか)ので、適当に仕事を与えたほうがいいです社長。

 

ツイッターのアカウントを消したい

息子が引きこもってネトゲばかりするので、親がPC勝手に売ったみたいな話。

実際には見たことないけど、よく聞きませんか。

 

被害者(?)はそのあとどうなったんでしょうか?

ネトゲやっぱダメか…」と脱引きこもりしたのでしょうか?

そうだったらすごいですね。

引きこもりの原因はきっと息子本人もしくはそんな風に育てた親のせいでしょうけど、見事にネトゲへ責任転嫁していますね。

 

そういえば、わたしはときどき、ツイッターのアカウントを消したい衝動に駆られます。

「費やしている時間が勿体無い!」

「もしやってなかったら、俺はもっとすごくなってる!」

というのが主な理由。

これも責任転嫁ですね。悪いのはツイッターでなくわたしです。

 

少子化はポルノ産業のせい」みたいな話もあります。

ポルノを消費するからモテない(パートナーに恵まれない)のではなく、モテないからポルノを消費してるような気がしますがどうなんでしょう。

 

もし、ですけど。

もしネトゲがなかったら、自分と向き合って自立していた?

もしツイッターがなかったら、時間を活用してすごい人になってた?

もしポルノ産業がなかったら、モテる努力してた?

 

背水の陣という言葉もあれば、取らぬ狸の皮算用という言葉もあります。

 

試しに、マジでツイッター消してみましょうか。

ワンチャンあるかもです(古い)。 

 

<追記>

ワンチャン(one chance)は知ってましたが、軽く調べると、フルチャンやらノーチャンやら出てきました。

フルチャン。最高にバカっぽくていいと思います。

本気で逃げまくろうと思います。

最近、脚本の勉強をしています。
コピーライターだからコピーそのものの勉強をした方がいいのは火を見るより明らかですが、自分が死ぬほど飽きっぽい性格だということに25年生きてきてやっと気づきました。なので「真正面からだけでなく、別角度からもコピーの勉強をしよう」「飽きたらまた別の角度から攻めてみよう」「なにはともあれ、コピーを勉強すること自体は飽きないようにしよう」そんな風に考えました。ふふふ、意識高いでしょう。意識だけは高いんですよ、ずっと。


コピーを学ぶにあたって『別角度』はいくつかあります。ある人は「女」だと言います。ある人は「お酒」、ある人は「ギャンブル」。「別角度なんかあるか。一個でも多くコピーにしがみついた奴が勝つんだよ」という人もいます。ぜんぶ正解だと思います。そんな中で、僕は脚本に目をつけました。「エンタメの設計図である脚本と、ビジネスの設計図であるコピーが合わされば、これはもう無敵なのでは?」というバカの足し算です。また、恋愛やギャンブルなどと違ってそのスキルが体系化されていて、とっつきやすいなあと思ったのも理由の一つです。


そんなこんなで、脚本をかじっているのですが、これがまあ面白い。映画とか見ていると、なんとなーくこの辺で人が死ぬのではとか、敵に騙されるのではとかわかるものですが、実際に「展開の必勝リレー」みたいなのがあるんですね。こうしたら面白いよ、ではなくて、こうしないと面白くないよ、というレベル。将棋でいうところの定石みたいなものですかね?[5なるほど/頁]くらいのペースで納得しながら読んでいました。


特に心を打たれたのはこの言葉。
「大事なのは読んでいるそのページで何が起きているかじゃない。読んだ人の心の中で何が起きたか」
主人公が泣こうが喚こうが、見ている人が何とも思わなければ、その脚本はクソだと。
はぁー、とため息が漏れました。
伝えたいことを書き連ねるのではなく、伝えたいことを心の中で引き起こすような文を書けと。
廊下を走って欲しくないから「廊下を走るな」と言っても(うぜーな)と思われるのが関の山、「ケガすると昼休み退屈になるぞ」と言って(確かに)と思わせろと。
うーん、当たり前。当たり前だけど、忘れかけていた。いや、考えてなかっただけか。難しいから。


コピーだって「読者のことを考えて書け」なんて初歩的なことは、いろんな人から言われてたはずなのに、今更ハッとしました。これは、自分のお母さんから注意されても素直に聞けないけど、友達のお母さんから言われると結構グサッとくるみたいなことだと思います。違うか。
とにもかくにも、いい勉強になってるのは確かです。『専門外のところからの気づきボーナス』が余計に納得度を高めています。
というのも、専門のことになるとどうしても学びに義務感が生じてしまい、受動的な態度をとっちゃいますけど、専門外だとなんか能動的に学べている気がするのです。

なので、

 

 

と、ここまで書いて気づきましたが、これはあれですね。
いつもの部屋掃除より、テスト前にやる部屋掃除の方が力入るのと同じやつ。

逃避行動。

逃避行動…。
でもまあ、本気で逃げまくろうと思います。

 

 

 

終わりでーす(三四郎・小宮)